イタリア旅行の最中、特にローマやフィレンツェに行くと、何度も出てくる名前ミケランジェロ。

でも、ミケランジェロって何をした人だっけ?と思う人のために、ローマで見ることができる有名な作品と合わせて簡単にご説明します。

ミケランジェロ作品を、ローマで見て回るのに役立ててください。

◆ミケランジェロの生い立ち

michelangero


ミケランジェロ・ヴォナローティは、1475年にトスカーナ州のアレッツォ近郊の小さな町で生まれました。

当時は、フィレンツェが現在のニューヨークのように繁栄を誇っていた時代。彼のお父さんはフィレンツェの名家の出身で執政官をしていたというのですから、結構な身分だったにもかかわらず、石工のもとに里子に出されたという不思議な生い立ちです。

花の都フィレンツェで当時有名なギルランダイオの工房に入り、すぐに頭角を現したミケランジェロ。

当代きっての権力者メディチ家のロレンツォ候に気に入られ、メディチ家所有の古代彫刻に触れ、ロレンツォ候のアカデミーで哲学者フィチーノの人文主義的な考え方に触発されていきます。

◆絶対見逃せない美しすぎる初期の大傑作「ピエタ」

1492年にロレンツォ候が死去すると、彼はフィレンツェを離れ、一時ボローニャでサン・ドメニコ聖堂で彫刻を作成し、ローマへ。現在、フィレンツェのバルジェッロ美術館にある「バッコス」像を制作。

その後、彼の初期の作品で最も有名なヴァチカン市国、サンピエトロ大聖堂所有の彫刻「ピエタ」を製作します。

310px-Michelangelo's_Pieta_5450_cropncleaned_edit


この時のミケランジェロ、わずか24歳だったといのですから、なお驚きです。処刑されたキリストを膝の上にのせ、不遇な運命の息子の死の悲しみを耐えている聖母マリアの表情、衣服のひだ、キリストの肉体、など、大理石でできていることを忘れさせるリアルな作品。

ミケランジェロの名声を決定したということに、まったく同感です。

私が初めて見たのは20歳の時でしたが、こんなに美しい彫刻が存在するとこに心底びっくりしてしまいました。美術ってすごい、と興味を持ち出したきっかけです。

◆フィレンツェ時代
1501年にフィレンツェに戻ると、わずか26歳のミケランジェロは、フィレンツェ共和国から注文が入る一流芸術家としての仕事が待っていました。

フィレンツェ共和国のシンボルともされた有名な「ダヴィデ像」(フィレンツェのアカデミア美術館像)や、ウフィッツィ美術館の「聖家族」はこの時の作品です。

フィレンツェのパラッツォ・シニョーリアの大広間に制作を依頼された「カッシーナの戦い」は、素描をしただけでフレスコ画は未完に終わっています。

◆再びローマへ
今度はローマ法王ユリウス2世の招聘でローマへ向かったミケランジェロ。本当は、ユリウス2世の壮大な墓碑を作る目的で呼ばれたミケランジェロですが、法王にシスティーナ礼拝堂の天井画を描くように依頼されます。
650px-CAPPELLA_SISTINA_Ceiling

ヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂って何だっけ?天井画

自分は彫刻家であって画家ではないと主張したにもかかわらず描いた天井画は、現在でも世界で最も優れた芸術作品のひとつなのですから、まさしく天才としかいいようがないですね。

当時のローマは、古代ローマの遺跡の発掘が盛んに進められていて、「ラオコーン」像や「ヴェルベデーレのトルソ」といった古代の彫刻から大きな影響を受けたといわれます。この2作品はヴァチカン美術館で見ることができますが、筋肉が隆々としていて、確かにミケランジェロに通じるものがあります。

また、現在のサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(丸屋根)はミケランジェロが設計しています。彫刻だけではなく建築もできたのです。

天井画完成するとすぐ、ユリウス2世が死去。再び遺族より墓碑の制作依頼が入りますが、結局法王が希望していたサンピエトロ大聖堂内ではなく、コロッセオにほど近いサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂内にかなり小さい規模で完成。

この時の角の生えた「モーゼ」像が、のちのモーゼ像のモデルになるほど有名です。

220px-Michelangelo_Moses


一方、この時採用されなかった「奴隷」像は、現在パリのルーブル美術館に展示されています。

◆レオ10世とパウルス3世の治世化での大活躍

一度は没落したメディチ家も、フィレンツェの共和政が崩壊し再び権力を握ります。当時はメディチ法王レオ10世、ミケランジェロをフィレンツェへ遣り、サン・ロレンツォ聖堂のメディチ家霊廟を作るように命じます。この作品はミケランジェロ彫刻の傑作と言われます。

この時期、ローマではパンテオン近くのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に、「レデントーレ」という十字架を持ったキリスト像を作成します。

その後ローマ法王パウルス3世の治下ローマへ戻り、60歳という年齢にもかかわらず有名な「最後の審判」をシスティーナ礼拝堂に一人で描きます。

Last_Judgement_(Michelangelo)

ヴァチカン美術館、システィーナ礼拝堂って何だっけ?最後の審判

また、ヴァチカン宮殿内のパオリーナ礼拝堂に、「聖ペテロの殉教」、「聖パオロの改宗」を制作します。

「最後の審判」の制作していた時期、現在のローマ市長舎があるカンピドーリオ広場の設計にも携わります。美しく均衡と調和のとれた広場は、ミケランジェロならではです。

また、パウルス3世の住居であったファルネーゼ宮殿。カンポ・ディ・フィオリ広場の近くにある現在のフランス大使館として使われている建物の正面の一部は、ミケランジェロが手掛けた作品です。ルネッサンス様式の美しい均衡がとれた建物です。

◆晩年の建築とピエタ像

当時としてはかなりの長寿だったミケランジェロ。かなりの高齢にもかかわらず、精力的に仕事を続けます。

1561年には、ローマ旧市街地の東側に「ポルタ・ピア」という斬新な建築様式の城門。
porta pia

1563年には共和国広場近くに古代のテルマエ・ロマエを改装したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、ミケランジェロの回廊の設計、そして、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のスフォルツァ礼拝堂とマルチな活動を展開します。

1564年、89歳でその生涯を終えたミケランジェロ。大理石を掘るという、体力を要する彫刻家という仕事を、最後の最後まで続けていたといいます。

晩年の傑作にミラノのカステル・スフォルツェコ美術館で見ることができる「ロンダニーニのピエタ」があります。体力が衰えているために、サン・ピエトロ大聖堂の若き日の「ピエタ」とは全く違う作品ですが、胸を打つという表現力は、まさしくミケランジェロならではです。

私もロンダニーニのピエタを見たときはまだ20代だったけれど、涙が出そうになりました。今見たら、きっともっと胸を打たれるのでしょう・・・

生涯独身だったミケランジェロは、一時ローマのサンティ・アポストリ教会に安置された後、遺言どおりフィレンツェに運ばれサンタ・クローチェ教会に埋葬されました。


いかがですか?これでも、ざっと書いたのですが、あまりにも傑作を残しすぎているミケランジェロ。有名な作品を列挙するだけで、こんなに長くなってしまいました。

何はともあれ、青い文字はローマで見ることができる作品です。ミケランジェロファンも、そうでなくても、間違いなく世界的な芸術家であるミケランジェロの作品、見に行かれることをお勧めします。

同時代の人に「神の如き人」と呼ばれていたというミケランジェロ。やっぱり只者ではありませんね。

ちょっと贅沢に!ゆっくりシスティーナ礼拝堂を楽しむ方法!